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阪神淡路大震災から26年…

1995年1月17日午前5時46分。
阪神、淡路周辺を大きな地震が襲いました。
当時まだ成人していなかった私は、家が大きく揺れているなかで2階にある自室の布団に潜りながら
「ああ、今日の学校はこの話で持ちきりやなぁ…」なんてお気軽なことを考えていました。
神戸はそれくらい 地震が来ないところ と言われていたからです。
揺れがやんで、私の名前を呼ぶ両親の叫ぶような声が聞こえて、布団から出るとその惨状にびっくりしました。
部屋の中でしっかりと立っている家具はなく、全部自分のベッドに向かって倒れ、寄りかかっている合間に居たのです。
外に出ると斜め向かいにある古いアパートは崩れて道路を塞ぎ、別の通りの大きな一戸建ても倒壊して道を塞いでました。
隣の古いアパートは斜めに傾いて我が家に寄りかかろうとしている状態。
母親は父親の経営しているお店の2階に住む姉のもとに、父親は一人暮らしの祖母や叔母のところへ向かうべく、車が出せるか確認したり、第二第三の被害を防ぐため火の元や電気の確認と周囲への声掛けをしていました。
家族が無事に揃って、車で祖母のもとへ向かう車内のテレビ(当時父親が自分で取り付けてました)で阪神高速道路が倒れているのを知りました。今まさに阪神高速下の国道を走っていることに焦りつつ…。
車から降り、祖母の家に走っている途中、倒壊しているお家の方が「誰か手を貸して欲しい!」「手伝って!」と周囲にお願いしている声が耳に届きましたが、自分の祖母の安否も確認できていないため、そのまま聞こえぬふりをしてしまったことがいまも悔やまれます。
祖母は古い商店街で経営していた店舗に住んでおり、1階が崩れてぐちゃぐちゃになった建物の中で奇跡的に無事でした。
浜の方にある叔母のところへ向かう途中、先程テレビで見た阪神高速道路が倒壊しているのを目の当たりにして血の気が引きました。こんなことが起こるのか、と…。
マンション住まいの叔母も無事で、我が家は再会することが出来たことが本当に奇跡だったのだと気づいたのは、その数日後に仲の良かった後輩が倒壊した家の下敷きになって亡くなったと聞いたときでした。(これを書き込んでいる今でも涙が出ます…。その子のエピソードは書籍にも掲載されています。)
同じ部活だった友達は両親を一度に亡くしたと聞き、その後には同じクラスだった子が亡くなったと聞きました。

あれから26年経った今、ようやく気づいた「生かされている 」という事実と、その大事さ。
私ができること、したいこと、したほうが良いと思ったことは後悔なくやりたいと思っています。

あのときの両親は実は今の私と同じ年齢。
父親は危険を承知で瓦が落ちた屋根に上りブルーシートをかけたり、倒壊した祖母の家から貴重品を探したり、
母親は水や食料の調達、そして私達家族全員の心の支えになってくれました。
……ありがとう。
あのとき一生懸命動いてくれたから過酷な日々を不安なく過ごせて私達姉妹の今がある。
そして叔母も、100歳近い祖母も、まだまだ健在です。

まだまだできることはたくさんあるよ!
チャレンジしたいこと、できること、人の助けになること……それが誰かの心にほんのちょっぴりでも残ってくれたらこの上ない喜びです。


うちの前のアパート


倒壊した阪神高速道路